Works

<わたしたちの光彩>|善福寺公園にて/小学生の場合

<Specific colors>|Zenpukuji Park/Elementary school

本作品は杉並区立桃井第四小学校4学年の生徒30名にカメラ機能付きタブレットを持たせ、善福寺公園(上池)内の場所・モノの内で興味を惹かれた対象を撮影してもらうワークショップから制作の着想を得た。善福寺公園での撮影後に「善福寺公園内で気に入った場所・モノ」「善福寺公園内で気に入った場所・モノを選んだ理由」と、彼らが撮影した複数枚のうちで最も気に入っている写真1枚について聞き取りを行ない、それらを使用して制作を行なった。

提供してもらった作品のうちには彼ら自身で写真をペイント機能で編集したものなどもあり、彼ら自身の目で見える風景を上書きしていく様子を感じることができた。30名のうち半数の15名が善福寺公園内に常時根ざしている場所・モノ(遊具・池・花・植物・ボートなど)であり、もう半数が善福寺公園に常時根ざしていない場所・モノ(友人同士の写真、散歩に来ている犬、運動をしている人など)であった。また気に入った理由としては、「きれい・かわいい・かっこいい」などの形容詞によって記述されたものがほとんどであった。

本作品の着想元であるワークショップ実施時はCOVID-19の影響により、課外活動が許されない状況だったことやカリキュラム上の都合で授業が増えていたこともあいまってか、生徒たちはどこか解放的なテンションを持っていた。走り回りながら連写する者もいれば、じっと観察するようにカメラを向けて何度も撮り直しをする者までいたのがとても印象的であった。今回、生徒のほとんどが操作に慣れていたことに驚いた。桃井第四小学校の図工教師の本永先生によると、COVID-19以前から導入され始めていたタブレット利用をはじめとするICT教育は、COVID-19後に加速的に普及したとのことであった。

生徒たちが駆け回って共有してくれた写真を眺めながら観察する制作の日々の中で、一つ考えたことがある。写真はもう新しいメディアではないが、写真をはじめとするような身体の拡張を利用した体験の記録が広く共有されていけばされるほど、体験者と同じ位置に立つことのできるチャンネルを持つことができるようになるのではないだろうか。また共有された拡張体験を観察することは、拡張の体験者の理解という喜びの現象なのではないか。

本制作に協力してくれた彼らが撮影した対象にお礼の挨拶をするために、もう一度目線の高さを合わせてみる。私の頭上にある天井が、少しだけ青くなったような気がする。

  • アンケート協力: 東京都杉並区立桃井第四小学校
  • 写真提供者: 桃井第四小学校 第4学年 30名
  • 出展先:トロールの森2020
  • 本作品複製を上記展覧会会期中に制作し、桃井第四小学校に寄贈した。

〈いま寄り添うための言葉の前で〉

〈In front of the words who snuggle up with, now〉

本作品は、詩と生活のzine『ゆめみるけんり 』と詩誌『て、わたし』による“いま寄り添うためのことば”という呼びかけに応じて制作した。“いま寄り添うためのことば”は、COVID-19 の感染拡大防止に伴う緊急事態宣言の最中に両詩団体より発案された企画であり、本企画に共鳴した関係者より多くの意思が寄せられた。本企画は、COVID-19の拡大によりこれまでの生活の様式や考え方などが一掃されるように変化する中で、詩はどのようなかたちで、ことばはどのようなかたちに残されていくのかすら危うい状況となっていることへの危惧から発足している。


“いま寄り添うためのことば”という企画に共鳴した私は、本作品の制作にあたって緊急事態宣言中の5月初旬に本企画関係者である詩人や作家に向けて「自宅の窓から見える景色」の写真と、「その写真を撮影したときに感じたこと・あるいは考えたこと」についてのアンケートを実施した。結果として、国内在住の計13名より送られてきた写真と言葉をヒントに作品の制作を開始した。撮影された写真および撮影された写真から想起されるものは大きく二つに分けることができた。1つ目は温度や風量、匂いなどのような外的な感触、2つ目はある過去ないし未来の出来事が内まぜになって浮かび上がってくるような内的な接触である。回答者に共通して見られたこととすれば、撮影した写真および撮影した写真から想起されるものいずれについても、COVID-19に関係することが一切含まれていないことにある。またいずれも習慣的な行動つまり日常生活においていまこれからも経験し続けることのできている事象であり、非日常的な体験を示すものではなかった。


本作品の物質的な構造は、自宅の窓から見える風景についてのアンケートをもとにしたものであるため、「暖簾」をモチーフとした。「暖簾」は古くより内外の間を仕切るものとして活用され、現在では多く商店などにおける営業の目印として利用されているが、その中には聖的空間と俗的空間を仕切るためにも用いられているものがある。私は、みる人の意識において本作品が何らかの仕切りとして成立することを望んでいる。みる人と撮影した彼らとの仕切りなのか、みる人と私の仕切りなのか、撮影した彼らと社会的な空間との仕切りなのか、撮影した彼らと私の仕切りなのか、感じ考えてもらいたく思う。そしてそれらが聖的空間と俗的空間のように明確な線引きのあるものなのか、“いま寄り添うための言葉の前”で、みる人に問いたい。

《物質詩》─〈位置特異旗〉

《Material poetry》─〈Topographic flags〉

Topographicという語は現代訳では“位置特異的な”という意味を持つ形容詞であるが、この語はToposという”場所”を表すギリシア語を語源としている。アリストテレス(前384-前322)は『詩学』において、Toposの指す”場所”は物理的な空間という意味だけでなく、物語的な主題のような心象的な空間を表す意味も含有していることを記述している。Flagは”旗”を意味する名詞であるが、その多くは国旗や社旗に見られるようにしばしばコミュニティやグループの象徴として用いられるように目印としての意味を持つ。また手旗や応援団旗に見られるように何かの物事の状態を指し示す合図としても用いられる。

本制作はある区画に調査対象を限定し、その土地および空間”らしさ”を持つ特徴的な場所(あるいは⾵景)に関して、社会調査的⽅法であるフィールドワーク並びアンケート調査を⽤いて集積を⾏うことを主たる行為としている。集められた意見は統計化したのちビジュアル観察法に基づき写真記録をし、それらを使⽤したモンタージュを回答者への聞き取りを踏まえて制作を行った。 この⽬的はある区画に堆積している/しかけている断⽚的な記憶の整理をする提案をすることであり、土地の持つ象徴的な⾊合いと形を集合化することにある。いわばこれは、一回答者による個⼈的記憶(あるいは経験)が統計および制作によって複合化(≒モンタージュ化)された時、「個⼈的記憶と集合的記憶にはどのような差異が⽣まれるのか」ということを明らかにする実践的な試みである。

ある場所に長く暮らしていれば暮らしているほど、そこで生きてきた人々にとってはそれぞれに暮らしている土地への記憶の欠片が多く堆積していくことは自明的であるが、それら個人的な記憶の多くは語られる機会を持たない限り、死に近づくにつれて失われていくものである。老化による健忘や認知症、神経症による認識の混濁といった病の広がる現代においては、個人的な記憶の多くはより一層忘却されていくだろう。記憶が死や病によって失われてしまう前に、人々のライフヒストリーの中で印象的に残っている場所やその記憶を可能な限りつなぎとめることはできないだろうか。また、そうした個々人が持つ印象的な場所を交差させ、集合させることはできないであろうか。集合化させることによって、新たな語らいの場所や時間を見つけることはできないであろうか。本制作は一回答者たちの意見から見られる風景を用いた新たなシンボルの創造と、対象の区画に関わる人々における共通の目印の発見と、忘却に向かい行く人々たちが手を取り合って生きていくための祈りの合図となることを目的としている。

〈Topographic flags〉│NAKAMINATO/high school(2019)の場合

茨城県立那珂湊高等学校の生徒を対象に、学生それぞれにとっての「那珂湊らしい場所/風景/色合い」に関して、質問紙による統計調査を行った上で制作を行った。制作の目的は、学生それぞれが抱く那珂湊に対する個人的記憶あるいは経験の集積とそれらの統計化を通して、個人的記憶と集合的記憶の境界について定性的かつ定量的に考察することにある。那珂湊高等学校に在学する学生たちの多くは卒業後、進路の関係から那珂湊を離れる傾向にあるという。彼らがある時どこかでふと高校生活を思い返す際に、本作品がそれを鮮明にさせる記憶の基点に建つものとなれば幸いである。

  • 筆頭制作者◎佐々木樹
  • 共同制作者 ○今宿未悠、高瀬立樹、高田彩加、羽賀優希、山口恵里佳
  • 破損発見者(報告日時: 2019年8月24日23時)□荒木栄、鈴木雄大、山口恵里佳
  • 修復者(修復日時:2019年8月26日17時)△佐々木樹、山口恵里佳
  • アンケート協力:茨城県立那珂湊高等学校 12クラス
  • 出展先:みなとメディアミュージアム2019

上記は、2019年8月24日(土)23時過ぎに当該作品の一部の破壊が発見されたことに起因している。被害届は提出済であるが、現在に至るまで名乗り出るものはいない状態である。(2020.4.21記述)


《制限記述》─〈母は子に、子は母の胸に折りたたまれて〉

《Manual writing》─ 〈Children are folded on mother’s chest, mothers are folded on children’s chest 〉

書き言葉(Written language / Writing)において文法的な規定はあるが、表現としての規定は未だ判断の中にある。(規定する必要はないという自明的な議論はここではするつもりはない) 社会的な文脈においては筒井康隆(1934-)の『無人警察』(1965) より浸透した「言葉狩り」という事態は話し言葉と共に生じているものの、新たな言葉を創造することや新たな組み合わせを行うことについては、基本的な面では個人にその多くが許されている。詩的な文脈においては、書かれた言葉のうちに詩性あるいは詩情、もしくは詩的なものがあるかの判断は多様性の担保により確実性のある判断は社会的な文脈同様あるいはそれ以上に個人に多くが委ねられている状態である。どちらの状態も、J-P・サルトル(1905-1980)の言葉を借りれば「自由という刑」、大澤真幸(1958-)の言葉を借りれば「自由という牢獄」にあると言って差支えがないだろう。彼らに依拠しつつ、この状態は「自由に模した箱庭」であると私は考えている。

芸術的手法において、理性によって行使される超現実を発見することを目的とした限定的な状態での記述行為のことを自動記述(Automatisme/Automatic writing)と分類することは広く知られている。制限記述(Manual writing)は自動記述における限定性から着想を得た、”可能世界を通して現実世界に散乱する詩的な断片を捉えようとすること”を目的とする記述行為である。制限記述は書き言葉において未だ踏みつぶされていない詩性あるいは詩情、もしくは詩的なものの探求に、誰しもが”自由に”向かうことができるようにするための方法論の提案である。

制限記述において推奨する基礎的なルールは以下の通りである。

1.あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わの順に文章を構築する

2.行ごとにも仮名序列を適応し、文章を構築する

例: あ行の場合、あ・い・う・え・おの順。

3.一種の行の中に、語の分類上で共通する(と判断できるもので構わない)固有名詞を挿入する。

例: 国に固有名詞を限定した場合、「インドのとある農村にて君を待っている間、占い師に話しかけられた…クロアチアの時刻では14時であった… スーパーファミコンを売り払ったら、セネガルに旅行に行く予定である…」

4.わ行については自由記述でもよい(無論、ルール2.の適応でも可能)

5.上記ルールにおける逸脱の範囲は筆記者の判断に委ねることとする。

掲載先:季刊「銀紗」※〈─石塔─〉のみ


《詩にまとめる》─〈見えないものをみえるようにする〉

《Decoding poem》─〈Making things to visible〉


Web における記事・広告などにおいて扱われているサムネイル等を含む「写真イメージ」と呼ばれるものには直接的に⽂章や意味内容が⼀致していないことが多く⾒受けられる。このことは肖像権や著作権等の問題から⽣じていることが基本的な原因であるが、それだけでなく適した「写真イメージ」が存在していないために、恣意的な判断に基づく結び付けを通じて選択されていることも不⼀致の⼀因としてある。上記のようなWeb 記事・広告における「写真イメージ」の使⽤において、個⼈撮影以外で多く⽤いられているものとしてフリー素材化されている写真がある。フリー素材化した写真は撮影者や撮影年、撮影場所が明記されているものの、それらを扱っているWeb サイトによっては商⽤利⽤可能なものなどがある。また使⽤する⽬的のイメージに適したタグ付けが⾏われている場合も多く、利⽤者は時間をかけることなく他者が定義付したイメージの写真を⾒つけることができる。フリー素材の中では、⼀般的に「⾒えないもの」と定義されているものであっても、レトリックを通して名詞化されたキーワードから適した「写真イメージ」を⾒つけることができる。インターネット百科事典である『Wikipedia』において「⾒えないもの」は以下の9 つのパターンに分類されている。

1.⼩さすぎて⾒えないもの … 原子・分子 / 細胞 / 細菌・ウィルス / 半導体 / ディスクデータ / 微生物、など

2.隠れていて⾒えないもの…不正行為・犯罪 / 擬態 / 雲・霧 / 死角 / 巣 / 一般公開できないもの / 生体情報 / 解体前のもの / 化学物質・放射性物質 / 超音波 / 心理的現象 / 霊 / 星座 / 月 / コロナ、など

3.明度により⾒えないもの…暗所 – 停電 – 照り返し – 黒板 / 太陽 – 日食 – 日の出 – 夕日、など

4.速すぎて⾒えないもの…銃弾発射の軌跡 / 野球・テニスなどのボール / 鳥や昆虫などの羽ばたき、など

5.形がなくて⾒えないもの…線類 – 可視光線 / 熱 / 音 – 電波 / 磁気 / 地震 / 匂い・味 ・エネルギー / 気体・気圧 / 気・気功、など

6.透き通って⾒えないもの…透明人間 / クラゲ / 炙りだし、など

7.消えたら⾒えないもの…イカスミ / 筆記用具 / 花火 / 泡 – シャボン玉、など

8.遠すぎて⾒えないもの …外国 – 国 – 海 / 宇宙 – 肉眼 – 双眼鏡、など

9.結果がわかるまで⾒えないもの…未来 – 将来 – 運勢 – 予言 / くじ – ギャンブル – 選挙、など

本作品群は写真をフリー素材として⼀部商⽤化で使⽤することが許されているWeb サイトである『pixabay』を通じて、上記の9 つの「⾒えないもの」の分類それぞれにおいて名詞化されているタグがつけられた写真で商⽤可能な写真のみを⽤いて制作した。故に本作品群に関わる素材の撮影に私は⼀切関与していない。ただ他者によってタグ付けされた分類上で必要な情報を検索し、集合化したにすぎない。本制作の⽬的は散らばっている「⾒えないもの」の集合を通して、情報化社会における写真を⽤いた詩的な/経験的な情報の伝達の活⽤法と⼆次利⽤の提案に加え、写真を⽤いた「⾒えないもの」を表すヒントとなるもののアーカイヴについて検討することにある。本作品は誰しもが撮影者・観察者の時代において、どのように経験をまとめていくか(≒写真を撮るか)だけではなく、どのようにまとめて/扱っていくかについての試論的位置にある。

“「見えないもの」は本当に「みえないもの」?”

出典:

『⾒えないもの』 https://ja.wikipedia.org/wiki/⾒えないもの ,2019 年12⽉6 ⽇閲覧
『Pixabay ⾼画質なフリー画像素材』 https://pixabay.com/ja/ ,2019 年12⽉6⽇閲覧


《物質詩》─〈国色〉

《Material poetry》─〈National colors〉

《物質詩》とは、構造主義に由来するモンタージュ理論と、ヴィジュアル・ポエトリーにお けるコンステレーション的⽅法を⼿掛かりとした、”触覚的型態”である。本制作群は⽇本のモダニズム詩⼈である北園克衛(1902-1978)の「写真は詩である」という⾔葉から着想を得ている。何者か(それはあなたかもしれない)に撮影された写真たちは、 額縁に組み込まれたり、壁に貼られたり、あるいはアルバムに⼊れられたりして、ある時の記憶を喚起させる物として、我々の⽇常⽣活の中に⾃然にある。物は我々が存在している事実の⽬撃者であり、我々は物によって⾃⾝の存在を認識する。物と物の関係性を描き出すことが詩(あるいは⽂学)なのであれば、物質化された写真によって与えられる感情は北園の⾔ったように詩(あるいは⽂学)に近いだろう。

《物質詩》は、毎朝植物に⽔をあげるのと同様に、作品⾯に霧吹きを⽤いて適度に⽔を与える必要がある。(1 ⽇1 回を推奨) この理由は《物質詩》が紙で作られており、放っておくと 遠い将来、作品⾯が剥がれ落ちてしまうためである。《物質詩》は⽔を与えることで、⾊と浮かで上がる線が変化する。《物質詩》における⽔の働きは、⾊褪せた記憶が偶然の出会いによって忘れられないほどに鮮明になっていく瞬間と少し似ている。あなた(もしくはあなたではない⼈かもしれない)が与えた⽔による染みは物質詩の⼀部になる。変わりゆく模様に向き合う時、あなたの存在は《物質詩》の中に発⾒されるであろう。

 <国色>は規則的な秩序に継続する持続の痕跡である。<国⾊>│⽇本国は、⽇本の東京都千代⽥区にある皇居を題材にし、外側から撮影した東⻄南北それぞれの印象的な⾵景によって作られている。作品それぞれは各⽅位区分で独⽴したショットのみで構成されている。それらのショットは、あなたが実際にこの場所を訪れた後の帰り道に、それまでとは違った印象を基にして衝突し始めるだろう。<国⾊> │⽇本国(剥離/第一次大戦後・第二次大戦後)は、⽇本の〔東京都港区にある芝離宮・中央区にある浜離宮〕を題材にし、内側から撮影した東⻄南北それぞれの印象的な⾵景によって作られている。作品それぞれは各⽅位区分で独⽴したショットのみで構成されている。それらのショットは、あなたが 実際にこの場所を訪れた後の帰り道に、それまでとは違った印象を基にして衝突し始めるだろう。そして、衝突によって⽣じた光景の群れを⼀つに再構成するのはあなたである。